子猫の夢

6月4日、2年半ぶりの家族旅行から戻ると、どこからか「ガアウガアウ」と奇妙な鳴き声が聞こえてきた。

「なんだろう…おっきなカエル?」と妹。「猫じゃない? 声がかれきってる…」

言い終わらないうちに、夕闇の向こうから子猫が飛び出してきた。

「迷子かな?」「誰か置いていったのかな? 困ったね…」「こんな可愛い子を捨てるだろうか」「いつから鳴いているんだろ。可哀想に声がかれている」

そうこうしているとしっかりものの妹が言った。「うちなら飼ってもらえると誰かが置いていったんだよ。でもお父さんもお母さんも猫はもう飼わないんでしょう? それなら明日から里親を探さなくっちゃ!」

高齢の両親は「最後まで面倒が見てあげられないから」と犬や猫を飼わないことに決め、近年の動物との関わりと言えば、庭に来る野鳥に餌を撒き啄む様子を楽しむばかりだったのである。

そうと決まれば物置に寝床を作り、しばらく様子をみながら引き取り手を探すことにした。そして近くのコンビニに餌とミルクを買いに出かけた。

温めたミルクを鼻先に置くと、子猫は皿に頭を突っ込むようにして舐め始めた。「お腹がすいてたんだね」と母。「餌は大人用しかなかったけど食べるかなあ?」と私。

翌朝、餌はきれいになくなっていた。子猫を抱き上げると気持ちよさそうにゴロゴロと喉をならし、私たちの姿が見えなくなるとせつなげに鳴いた。こんなにも小さな命は儚げで可愛いものだったのかと思う。

活発で元気なこのオスの子猫は、翌朝にはミルクと名付けられた。母が「うちにきて初めて口にしたのがミルクだからよ!」とにこやかに言った。

それから子猫用の餌を揃え、木登りをしたり、いたずらをしたりのやんちゃ盛りのミルクの世話に母は明け暮れた。ピーヒョロローと啼いて空を旋回する鳶の姿が見えると、急いで子猫を抱きその姿を隠したものだ。3日目が過ぎる頃、いづれ去りゆくものと距離をおいていた父の膝にも子猫は親しげに飛び乗るようになった。

この間、里親探しに一役をかってくれるペットショップのボランティアさんが子猫を見に来てくれたり、妹が里親探し用に子猫の写真を撮りに来たりと、両親の日常はにわかに騒がしくなった。「あら、この子は背中にハートがあるのねえ!」とボランティアさんが言ったと母が笑った。

3週間後、とうとう里親が決まったと妹から電話があり、私たちは安心したと同時にどんな人なのかとヤキモキしたものである。

梅雨の晴れ間の暑い一日であった。6月25日、ついに都会から引き取り手のご夫妻がやって来た。

朝から庭を駆け回っていた子猫はゲージに入れられると、とたんにおとなしくなった。小さいミルクは、この森の家のことも私たちのこともすぐに忘れてしまうだろう。

ゲージを抱えたご主人が「大事に育てます」と笑顔を向けた。犬と猫を飼っているという優しい人たちであった。

父と母とともに子猫を乗せた車を見送ると、急に涙がこみ上げてきた。子猫を動物好きの里親に託し安心したせいなのか、淋しいせいなのか自分でもよくわからなかった。

すると傍らの母がつぶやくように言った。「いつかミルちゃんの夢にこの森が現れるかもしれないね。そしてあの森はどこなんだろう、僕は木登りがとっても上手だったんだよって、思うかもしれないねえ…」