不帰の嶮

izaatsuyoshi2008-08-12


8月9日、猿倉から白馬槍温泉へのルートを往く。

山道が崩壊したのだろう、大幅にルートが変更されていた。新しく切り拓かれた道は、かつて生い茂っていた草木が踏みしだかれ、青々しい草いきれが足元から立ちのぼってくる。じりじりと焼けつくような陽射しのもと、歩行とともに体感温度が上昇し、汗がふき出してくる。時折、うぐいすの涼しげな声が聞こえてくるが、足は重くなるばかりで、思うように前に進まない。

落石が懸念されるガレ場の手前では、山岳警備隊であろう男が登山者の歩行を誘導していた。いくつかの小さな雪渓を越え、槍温泉に到着。今日一日、新しい登山靴に苦しむ。足先が締め付けられ、大腿部が痙攣した。この日の天狗への縦走を断念する。

槍温泉に泊まるが、宿泊施設のお粗末さには辟易した。多くの山小屋が改善策に勤しんでいる昨今、この小屋は温泉にあぐらをかいていると思う。

しかし、まだ日も高い昼下がりに、小屋の前でのうのうと横になる連れの姿を見、一人の老人が「幸せそうだ」とつぶやき、目を細めた。青い空と山に抱かれ、確かにこのとき、下界を離れ小屋で休息する人々は皆、自由で幸福であったろう。

10日、午前6時、唐松を目指し出発。白馬槍山頂付け根に出ると、風が吹き渡っていた。一気に汗がひく。それにしても老若男女、単独、パーティーに限らず、白馬から白馬槍、不帰の嶮へ縦走する輩のなんと多いことか。

天狗山荘で小休止をとる。壁に「スイカ400円」と値札が下がっていた。スイカはふた切れで400円だと、笑顔も初々しい若い女が言う。スイカのみずみずしい果汁で喉を潤し、天狗の大下り、そして難関、不帰キレットに向かう。

険しく急峻な岩稜群は、危険箇所として知られている。これからここを越えるかと思うと身がすくむが、連れの「大丈夫だ。三点確保で行け!」の声に歩を進めた。長い鎖場が次々と現れ、緊張の連続であった。特に二峰。垂直に近い岩稜を鎖と鉄梯子でつめるとほっとする間もなく今度は横にトレース、はいあがったと思えば、鎖場が連続してあり、左側はすっぱりときれ落ちている。まったくもってほっとする余裕はなかった。

三峰をつめ、唐松山頂にたどり着く。越えてきた不帰の嶮を顧み、あらためて険しく美しい山景であると思う。踵をかえせば唐松頂上山荘はすぐそこである。休憩時間を含め、7時間半の歩行であった。

この小屋の左手には雄々しい五竜の山稜が立ちはだかり、正面には剣岳が鎮座する。次々と湧いては去る雲の姿に心を奪われ、雲に消えてはまた現れる剣を飽かずに眺めた。

11日、午前6時半、稜線をたどり五竜岳へと向かう。五竜山荘で大休止を取り、二人で一杯のうどんを食す。小屋の下に見える雪渓には、子供をかかえた猿の群れが見えた。

遠見尾根を下る。この道もところどころにルート変更があった。

タクシーで大町のくろよんロイヤルHへと向かう。ドライバーは、若い日に山小屋でアルバイトをしていたという北アルプスに精通している50がらみの男で、旧道を走りながらさまざまな話をしてくれた。白馬から祖母谷温泉へのルートをすすめられ、今秋はこのルートを行こうと決める。

温泉で山行の疲れを癒し、夜は吉兆で舌鼓をうつ。翌12日午後、帰京する。