「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」

izaatsuyoshi2012-03-18


雨は朝から、しとしとと降り続いている。旅先の静岡で、私に降って湧いた空白の3時間。過ごし方をカフェでぼんやりと考える。

この天気では、神社仏閣巡りはままならないし、静岡県立美術館はアクセスが面倒だ。静岡市美術館は近くだが、開催中の「竹久夢二」には興味がない…。

そこで駅の観光案内で映画の情報を尋ねることにした。新静岡駅の近くに10のスクリーンを持つシネマコンプレックスがあり、通常、約20本の映画を上映しているという。案内をしてくれた女性は、親切に新聞の映画案内を切り抜いてくれた。

新静岡セノバ9F、シネマコンプレックス「シネシティ ザート」は、静岡駅から歩いて10分ほど。

明るいホールには、子どもたちの走り回る姿がある。楽しげにポップコーンをほおばっているのは高校生のカップルだろうか。中高年の姿も多い。

さすが二桁のスクリーンを持つシネコンだ。子どもから高齢者まであらゆる世代で、ホールは賑わいを見せている。家族連れは親子で別れ、それぞれ好みの映画を観るのだろう。「最上のシネマライフ」というコピーもうなずける。

長ぐつをはいたネコ」に「プリキュアオールスターズ」「ドラえもんのび太と奇跡の島」・・・そして「ヒューゴの不思議な発明」。なるほど子どもたちが多いわけである。「ヒューゴの〜」は子どもでなくても観たい1本だ。

さてと…「シャーロックホームズ」、「ものすごくうるさくてありえないほど近い」は、当方の持ち時間と開演時間がずれている。「ものすごく〜」に出演しているベルイマン映画の常連、マックス・フォン・シドーの名優振りを久しぶりに観てみたかったが残念だ。

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(原題: THE IRON LADY)…これは余裕でOK。

シネコンのフロアプランを見ると「鉄の女」の上映スペースは、ひと際小さい。主演女優がオスカーを手にしても、偉大な女性の生涯がテーマであっても、お堅い政治が背景となれば入場者はあまり見込めないと踏んだのだろうか。実のところ、私にとってもこの日の20本ほどの上映作のうちの3、4番手であった。

映画の冒頭、大写しにされる老女の顔。メリル・ストリープだとわかっているものの、すぐには彼女の骨格を見出せなかった。観るものを欺く演技力はもちろん、顔や手、首の皺など、さすがアカデミーメイキャップ賞受賞の完成度だ。

「若くなるには時間がかかる」“It takes a long time to become young” とは逆行して、メリルがメイキャップでここまで「老いるには大変な時間がかかった」ことだろう。

政治家は好きでないと務まらないと聞くが、この映画を観てつくづく納得した。世論の批判を真正面から受け、時に家族もテロの標的となり、側近にも去られる。何故、彼女は1日も休むことの出来ない戦いに身を置かねばならなかったのか。

理由はひとつ。政治理念や理想の実現もさることながら「政治が好き」という衝動。危険を隣り合わせに高山に挑む人の「そこに山があるから」という衝動に等しい。

かつて鉄の女と呼ばれていた名相は、今や認知症を患い、亡くなった夫の幻覚に苦しみながら、ただ一人の話し相手として求めてもいる。権力者の栄光は夢の中にあり、孤独は現役時代よりますます深まっている。

フォークランド紛争における犠牲、究極の決断、様々な後悔に苛まれながら、彼女は自らのキャリアにイギリスの栄光を見出す一方、今は亡き夫デニスに「あなたは幸福だった?」と問いかけるのだった。

《追記》
日曜洋画劇場で「シャーロックホームズ」を観た。こちらは映像も美しく、娯楽嗜好で楽しめたが、あらためて私の静岡での”マーガレットの選択”は、幸いだったと言おう。「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」 は、一人の女性の生涯を描いて、しみじみとした情感に訴える映画であった。