A・S・バイアット『抱擁』

抱擁 (1)

抱擁 (1)


久しぶりに読みごたえのある小説に出逢った。

『抱擁』”Possession: A Romance”(新潮文庫)は、1990年ブッカー賞を受賞し、2002年にグウィネス・バルトロウの主演で映画化されたベストセラーである。

学生時代に親しんだヘンリー・ジェイムズやコールリッジの影もちらちらと見え、主人公たちの100年の彷徨に付き合うのは心地の良い時間であった。また作者のあとがきに、ウンベルト・エーコの名前を見出したのも嬉しかった。

しかし一方、言葉の意味、詩の寓意に全く気づかず読み進めてしまうことはしばしばで、読後、翻訳者のあとがきに接しページを繰り戻り、そういうことだったか!とようやく理解したものである。それでもなお、はりめぐらされた謎(なぞなぞ)の存在の多くに未だ気づいてさえいないという状況であるのだが。

さて、この最高にスリリングでかつ私には難解であった小説の面白さを紹介するには、作家と翻訳者の言葉を転載するのがベストだろう。

「選択−『抱擁』の創作過程」(A・S・バイアット)より
『抱擁』は一種の推理小説にし、学者たちに探偵の役を与えようということは、エーコの『薔薇の名前』を読んだときからすでに持っていた。『薔薇の名前』は中世の神学、教会史、嬉々として描かれる血なまぐさい惨事、小説の形態に関する省察といったものと、シャーロック・ホームズの化身、あるいは先駆者と言うべき探偵役を結びつけた作品である。

推理ドラマとメロドラマは後ろから書くのが良い。たとえばある図書館が一瞬のうちに跡かたもなく燃え尽きるシーンを書こうと思うなら、その建物を造る時点で燃えやすい構造にしておく必要があるのだ、と彼(エーコ)は言う。

芸術は政治のため、教育のためにあるのではなく、まず何よりも楽しむために存在するのであり、楽しむことが出来なければ無にひとしい。コールリッジが熟知し、語っているように、芸術は楽しめてこそ他の機能も持ちうるのだ。そして小説の楽しさは、ストーリーの展開−物語の進行にともなう発見の喜びにある。

「訳者あとがき」(栗原行雄)より
この作品には無数のメタファーが描かれており、それぞれ両義的、多義的な効果を生み出しているが、文化的背景を異にするわれわれには、その一面しか理解できないものも多い。

映画案内を見ると、ストーリーは手が加えられ原作とは異なるようだが、理解への大きな助けとなりそうだ。原作には交霊術の集会や嵐の夜に詩人の墓を掘り返すなど多分にドラマチックなシーンが盛り込まれている。映像により言葉がどのように具現化されたのか、そそられるところだ。


《追記》 読み始め、研究者たちの嫌味な上下関係(能力による)にぞっとしたものだ。100年前の詩人の研究に一生を費やして何になるのか…原発事故終息に向け日々を送る人もいる、未来につながる仕事にこそ価値がある、と思ったりした。しかし、私自身、ストーリーが展開を見せるにつれ時を忘れて読みふけった。そして過去に読んだ様々な本がよみがえり、作家その人に思いを馳せた。

一冊の本に過ぎ去った日々を思い慰めを見出す老人や、新たな探究を見出す子どももいるだろう。音楽や美術、文学そのものは苦しい時こそ求められるのかもしれない。一方、そういう時代、研究は評価されにくいものだ。平和であってこそ成り立つのだろう芸術研究のせつなさを思った。