祖母谷に泣く

izaatsuyoshi2009-08-15


8月7日、ムーンライト信州(夜行)にて白馬へ向かう。早朝5時40分、白馬駅に降り立った。改札をぬけると「おい、見ろよ!」と連れが正面の空を指差した。なんと虹だ、曇り空にかかる虹に気分も高揚したものだ。

今回の山行は、1日目(8/8)に栂池から白馬山頂、山荘泊、2日目(8/9)に祖母谷温泉に降りる。祖母谷へのルートは、連れも初めてであるそうな。

ゴンドラリフトで高度を稼ぎ、8時から登山開始、白馬大池には3時間ほどで到着した。時折小雨がパラつき、霧は出ては消える…まあ、これも高峰のこと、風情があってよい。

白馬大池を目前に持参の昼食をとり、いよいよ白馬山への尾根登りだ。これからそう、3時間半を想定していたのだが、情けないかな、4時間かかって青息吐息でようやく頂上小屋に到着した。連れはといえば、頂上レストランで生ビールを2杯買い込み、倒れ込んでいる私に颯爽と差し出したものだ。いつもながら連れの強靭な肉体には感服である。

疲れで夕飯にも手をつけることは出来ず、早々と湿った布団に横たわった。白馬登頂は人気のルートで、今夜も部屋は満員だ。寝返りをうてば、隣の見ず知らずの男性に触れそうである。数名のイビキの競演にも悩まされ、寝付けないのは連れも同様であったようだ。明日が思いやられる。

一夜明けて、小雨。雨具を装着して7時過ぎに小屋を出る。分岐で祖母谷温泉へのルートを下り、3時間ほど、楽しい稜線歩きが続いた。今を盛りと咲きみだれる様々な高山植物が山路を彩り、雲間からは時折、槍や剣岳が姿を見せる。天気が良ければ絶景を望めたことだろう。前後に人の姿はなく、この美しいルートが人気のないのが不思議であった。

非難小屋の前附近から、樹林帯に入った。白馬・祖母谷間をたどる登山者は少ないためか、ルートは整備されていない。倒木が道をふさぎ、生い茂った篠や草が細い山路を覆い隠した。沢をいくつ渡ったことだろう。尾根歩きは果てしなく続く。途中出逢った、登ってくる数名の登山者はいずれも息が上がり、非難小屋での一泊も考えていよう。長丁場であることは分かっていたものの、こうも歩きにくいルートであったとは…ここに来て人気のないコースであるのも納得した。

あいかわらず道は細く、草はますます生い茂り、矢鱈と大きな熊笹などを左右に掻き分けながらの歩行は辛いものがある。根元を踏んだぶんには足をもっていかれるのは必定だろうと思っていた矢先のことだ。

「アッ!」という声に振り向くと連れの姿がない。すると左下の笹藪の中から「オーイ!」とのろりとした声。「アーァ。すべっちまった」と続けて声がする。連れは笹に摑まり道まで這い上がろうとするのだが、ザックが重く、なかなか上がれない様子である。差し出したストックを摑んで、ようよう生還した。そして一言「…ったくもう、おまえがダラダラ歩くから、うしろがつまるだろッ!」と真剣とも冗談ともつかない言葉で、ぼそぼそとぼやいたものだ。まあ、無事で良かったが、連れが怪我をしようものなら、どうすればいいのか…はっとした瞬間であった。

歩き始めて5時間を過ぎた頃、左足の膝が痛み出した。あと3時間はかかるというのに、なんてことだ。とにかく雨で濡れた岩や落ち葉ですべり、歩行は容易ではなく、幾度となく転んだ。見かねた連れは「ザックを寄越せ!」と叫んだものだ。二つのザックを背負ってバランスを保ちながらの1時間半にも及ぶ下りは、屈強な山男であっても、かなりの労に違いなかった。申し訳なくて涙が出る。

午後4時半、疲労困憊の我ら、9時間かかって、川沿いの祖母谷温泉に到着した。小屋では主人の笑顔に迎えられた。60代と思われる主人のその姿には、後光がさして見えたものだ。

夕食前に湯を勧められ、川沿いの露天風呂へと向かう。湯に浸かれば、辛かった下りのことなど忘れ、川の流れを目前に極楽気分である。一方、男風呂では、真っ赤に日焼けした足を湯に入れた連れ、思わず「オーッ!」と声を出し、男たちの笑いを誘っていたそうな。そのあまりの痛さに流石の山男も泣いたとか…。

夕食は心のこもった家庭料理だ。めばちまぐろの刺身、富山産だという。山中でまぐろとは、けっこうな馳走でもてなしてくれたわけである。ほかにも具沢山のコロッケなど手作りの料理を肴に、冷えたビールはことのほか美味い。一杯、二杯と重ねるほどに、身体の芯まで心地よく酔った。

部屋に戻れば寝具も清潔だ。川の流れを子守唄に、二日ぶりに深い眠りについたものである。