最期に茶の湯の師を訪ねてから、かれこれ半年以上も経つだろうか。ここ2年ほど茶事もおろそかにし、点前座にすわることも稀となった。
自転車と同じ、点前作法は身体が覚えているものと勝手に思い込んでいたが、先般、袱紗を手にとり、これまでにない違和感を覚えた。はたして流れるように袱紗を捌いているのだろうか。いやいや、袱紗ばかりではない。着物での立ち居に不自然さはなかろうか。
この夏こそ、朝茶事に友を迎えよう。道具組みはすでに昨夏に決めている。若干の手なおしを加えればよい。茶懐石献立は旬に従い、道具に沿えば自然に納まる。
午前5時、ひぐらしの鳴く声が、絽の着物に身を包んだ友を迎えることだろう。亭主なればこそ、茶の湯の楽しさを満喫できるというもの。気構えも驕りもなく、日常のようにさらさらと流れる、清澄な時を送りたいものである。