茶の湯

古希祝いの茶事

実家にて 茶の湯の世界は社中や流派の垣根を越えて、茶事に招いたり招かれたり。心あれば交流は広がっていく。この度は、妹夫婦が敬愛する正客の古希祝いの茶事。連客は2名、席入は客の都合により13時半となった。続き薄茶でもてなす。 懐石は四つ碗を省略し…

椿いろいろ

拙宅にて 実家では椿が盛りである。 母は、茶を嗜む方の来訪があれば椿園に案内して分けて差し上げている。 私も東京の家に持ち帰った。恩師が健在ならお届けしたものと、花を抱えながら思う。 ドイツのビールジョッキにトサミズキと生ける。紅妙蓮寺と、さ…

華甲祝いの茶事

実家にて 妹を亭主に、7名の客を招いての華甲祝いの茶事。12月24日の年末の多忙の折から、客は4.5名と踏んでいたというが、声をかけた全員に色よい返事がいただけたという。となれば昨年、特注したテーブルは5名分しかなく、追加のテーブルが決まるまで妹夫…

謹賀新年

鎌倉にて 1月3日、本年も鎌倉にお住まいの数寄者 御贔屓の古美術店にて懐石、薄茶一服のお相伴に預かる。 懐石をいただく度に思うことは、プロ、アマチュアに関わらず、調理する方の好みや美意識は如実に器の上に現れるということだ。私とは異なる、例えば…

松花堂弁当 花七種

実家にて 妹の社中仲間を招いての正午の茶事。 客はご懐妊の女性とその母、米寿を迎えた社中の御長老と、女性3世代の目出度い席であった。 当方は初めて松花堂弁当を手掛ける。画像は今回も茶事の後に義弟と妹に用意したもので残り物感満載、盛り付けも気が…

喜三郎の小吸物椀

鎌倉にて 例年、新年3日に懐石を担わせていただく鎌倉の数寄者の茶事はコロナ禍で中止だという。だが古美術商の茶事に相伴させていただくことになった。 1月3日、シャンパンを抱えて、数寄者とともに4時半に先方に到着。まずは新年のあいさつを交わし本席…

正午の茶事

実家にて 師走11日、妹は千家流派の青年部で知り合って以降、30年余り親交するお三方を茶事に招いた。先回同様、亭主は妹、半東は妹の主人、懐石は私がつとめるいつも通りの布陣である。 待合 懐石 折敷 向う(15代永楽善五郎)平目コブ〆 飯碗(真塗)栗お…

正午の茶事

実家にて コロナ禍のため二度延期となった茶事が、11月20日にようよう実現した。妹念願の恩師を招いての茶事である。 紅葉は真っ赤という訳にはいかなかったが程々で良いのだろう。 11時の席入りに30分ほど遅れ、93歳の正客は社中の弟子お二方に両側を支えら…

10月の庭 Ⅲ

実家にて 秋晴れの心地よい季節である。 母のお気に入りの可憐な花、ダイモンジソウが開花した。 柿は枝がたわむほど鈴なりとなり、鳥たちを待っているかのよう。実りの秋を実感する。 西王母、紅妙蓮寺、荒獅子、初嵐など早咲きの椿が次々と花を開き始めた…

朝茶事 

実家にて 海外に旅立つ若い人へはなむけの茶事。正客は妹と社中を同じくする19歳の女性、次客はその母、詰めは社中の先輩と聞く。亭主は妹、半東は妹の主人が務め、当方はいつものごとく懐石を担う。医学を志し、ハンガリーの大学に留学するという正客は、い…

ミツバシモツケ

実家にて老舗茶道具商が水屋に控える某数寄者の茶事は10年も続いただろうか。茶懐石を担いながら、桃山期の古陶磁の扱い、料理と器の取り合わせなど、厳しくも多くを学ばせていただいた。茶の湯の世界では名の知れた方々が客となる茶事の懐石を、当方のよう…

日乃出高坏菓子薹

実家にて 「日乃出高坏菓子薹」、正月には最適の器である。その名の通り台付で数センチほどの高さがある。丸い器を上から見れば、たなびく雲をも輝かせながら、今まさに顔を出した日乃出と見えよう。その昔の意匠に感服する。菓子は赤坂は塩野の「松の緑」。…

降雪

実家にて 1月30日、齢90を超える妹の恩師を招き、実家にて茶事をすることになった。(しかしコロナ感染者が日毎に増え、またしても先送りになりそうな気配。)少女時代から茶の教えを受け、今は足腰の弱くなった師を思い、妹は準備に余念がない。 一人用の卓を…

新年を祝うⅡ

鎌倉にて 例年、松の内に茶事を行う鎌倉の数寄者から、今年は客の都合がつかず見送りとなったと連絡が入った。izaatsuyoshi.hatenablog.com当方の水屋仕事はないが、例年茶事の後に伺う古美術店に行こうと誘いを受けた。ありがたいことである。三日午後四時…

ムシカリ

実家にて 2021年を迎えて、早くも3ヶ月が経過した。梅花を送り、今や枝には小さな実が鈴なりである。近隣の桜花は、盛大に花弁を散らし、あるものはすでに葉桜の体。さて、緊急事態宣言が解除され、久しぶりに帰郷した。両親は「そんなに長く帰らなかったの…

正午の茶事(稽古)

師の茶室にて: 1999(平成11)年10月24日 社中では、稽古の曜日ごとにグループを組み、亭主と客を代り番で茶事を学んだ。水屋には幾度も入り勉強させていただいたが、初めて亭主を経験したのは、1999年の秋も深まりゆく頃、師の茶室においてであった。亭主経験…

正午の茶事

実家にて:2003(平成15)年11月24日 植物好きの両親は庭の手入れに余念がない。5月の連休には必ず訪れる茶友たちに、草木をお分けすることは母の大きな楽しみである。 実家の、入母屋造り総二階建ての母屋は明治末に建てられたもので、1975(昭和50)年に元の…

茶信

拙宅にて:2003(平成15)9月 猛暑の中、連れは相変わらずのゴルフ三昧、当方は整理の傍ら、茶信を納めた箱を紐解いてみた。懐かしく皆様の文字をたどる。茶事に招かれるごと届く、師や先輩の筆に倣い、幾度も書をしたためた往時がよみがえる。 すると拙宅で開…

茶名披露の茶事

実家にて:2002(平成14)年11月10日 実家において私が亭主となり茶事をしたのは計3回、過去の記録を紐解けば、2002年11月10日、2003年11月24日、2005年10月17日であった。 2002年の折は茶名披露の茶事で、社中の先輩I氏とともに亭主を務めた。このI氏、少々…

大津絵 ヒョウタンナマズ

鳥海青児の大津絵 鳥海青児という洋画家をご存知だろうか。1902(明治35)年、神奈川県平塚生まれ、本名は正夫という。15歳の頃、小遣いで油絵具を買って絵を描き始めた。1921(大正10)年、関西大学に入学、翌年、当時流行した姓名判断に従って青児と名乗っ…

初炭手前

拙宅にて 初炭手前の稽古をする。仕事を終え20時頃に稽古に駆け込む私は、炭手前の稽古に間に合うことは稀であった。そうであっても、師が繰り返した「炭おくはたとひ習ひに背くとも湯のよくたぎる炭は炭なり」という利休百首は耳に残っている。胴炭をうまく…

続き薄茶

拙宅にて 今朝も続き薄茶の稽古をする。紅葉の頃、師や社中の友を東京から2時間ほどの実家に招き、茶名披露をしたことが懐かしく思い出される。 この折は、同時に茶名をいただいた道具好きの先輩とともに二人亭主となった。彼は初炭と濃茶を、私が懐石と薄茶…

野山の恵み届く(参)

拙宅にて 早朝に起きて、続き薄茶の稽古に勤しむ。茶事にうつつを抜かしていた頃の私は、点前そのものにはさほど興味がなく稽古も怠りがちであった。社中の仲間から「先生はあなたに目をかけていらした」と聞くと、今さらながら悔やまれる。厳しくも、茶事の…

盆略点前

拙宅にて テレワークは時間の割り振りが自由である一方、共通認識が甘かったり、仕事の進捗にズレがあったりと、大なり小なりストレスが発生する。そんな時は無心で茶の稽古をする。これが私の一番のストレス解消法であるようだ。毎週、稽古に通っていた頃は…

山上の茶事(拾)

新春の献立 1月4日、鎌倉の数奇者、居合い仲間を招いての新春恒例の茶事。本年も10人分の料理を抱え7時過ぎに家をでる。献立 1 向う(鯛昆布締め、なまこ、酢蓮) 2 御重(松風焼、サーモンのムース、蕪の酢漬ほか) 3 黒豆 4 炊き合わせ(鶏肉、ゴボウ、人参、…

山上の茶事(九)

新春の献立 1月5日、鎌倉の数寄者、居合仲間を招いて新春恒例の茶事、本年も水屋に侍る。懐石のスタートは11時、客は10名、亭主、水屋方を含め総勢12名である。献立 向う(鯛昆布〆・干柿の柚子巻・千切大根大葉) 焼物(松風焼き) 強肴(酢蛸・酢蓮) 煮…

山上の茶事(八)

新春の献立 1月3日、鎌倉の数寄者、居合仲間を招いて新春恒例の茶事、本年も水屋に侍ることとなった。7時半に約8キロの料理と食材を抱えて家を出、2時間後、数寄者宅は山上の茶室へと到着した。懐石のスタートは11時20分、客は13名、亭主、水屋方を含め総勢…

山上の茶事(七)

福とは? 1月3日、鎌倉の数寄者、居合仲間を招いての新春恒例の茶事、本年も水屋に侍ることとなった。客は11名、亭主、水屋方を含め総勢14名である。昨年の料理不足の轍を踏まぬよう、7キロにもなる料理を携えたものだが、この度は客からも沢山の料理が持ち…

懐石リハビリ

「おまえ、料理が下手になったなあ!」と連れがしみじみと言う。何をか言わんやその通り、このところ簡単なオードブルでお茶を濁し、メインは見た目の派手なオーブン料理となれば、当方とても自覚症状大アリである。そこで、懐石への情熱を呼び戻すべくリハ…

二月の花

実家から帰宅の折、母が花を包んでくれた。いく輪かの椿と土佐水木。いつものようにひと枝もひと葉も落とすことなく、その命を惜しみ、野にあるように活ける。 拙宅では遅咲きの梅の開花までもう少し。