鎌倉にて
1月3日、本年も鎌倉にお住まいの数寄者 御贔屓の古美術店にて懐石、薄茶一服のお相伴に預かる。
懐石をいただく度に思うことは、プロ、アマチュアに関わらず、調理する方の好みや美意識は如実に器の上に現れるということだ。私とは異なる、例えば器と料理の取り合わせや食材考察、調理へのアプローチに出会った際は、糸口を探し理解したいと思う。
こちらの主人の料理は、食材を吟味されるのはもちろんのこと、味、盛付も素人の域を出て、満足して帰宅するのが常である。懐石の流れ、盛付とも共感できる。
献立
先付は平椀に出汁を含んだ温かい蕪。蓋を開ければ湯気がご馳走である。煮物椀は飛竜頭の種を揚げずに蒸したものであろうか。どの料理も美味しく酒もすすみ、床にかかる軸や懐石の器について等、席中の会話も弾んだ。
さて、11月半ばに蔵の整理をし、和箪笥に長年仕舞い込まれていた着物も半分ほど処分した。その中に残そうか、残すまいか迷った訪問着が1枚。「大分、古いようだから、さよならしよう」と母がいう。まずは着てみようと私。
ちょうど12月初旬に気のおけない方から茶事に招かれており、その席で着てみたところ、思い掛けず好評で驚いた。
その折は、薄いピンク地に大きな青海波の木目込みの帯をあわせたが、鎌倉へは黒地にスワトウ刺繍のある帯を締めて出かけた。帯締、帯揚は薄緑の同系色、新年からずいぶんと地味な取りあわせであったかもしれない。模様には淡いピンク色も見えるが、着物自体落ち着いた趣きである。
「酒井三良の墨画のようだね。」とはかの数寄者の弁。確かに日本画のたらしこみの手法である。
若い時分には地味な着物こそスタイリッシュに着こなせようが、着物の艶やかさに頼りたくもなる昨今である。
当日は夕刻から雨の予報、裾は少し短めに(左)。裾模様のあたりに当日の帯を太鼓にして置いてみる(右)。
黒地に絞りの道中着は、15年余りも前であったか、大叔母の羽織を作り変えたもの。今となっては羽織のままにしておけば良かったと思う。この着物との取り合わせはモノトーンにもかかわらず華やかな大人の装いと気に入っている(下)。