ザクロをいける

実家にて

水盤にザクロと田舎ギクをいける。

この青磁の水盤は48cmほどありこれまで使ったことがなかったが、実が重く枝がしなって置くことしか出来ないザクロにはこの器しか見当たらない。

華道をたしなんだことのない私の花は、茶の湯の「花は野にあるように」(利休百首)が出発点となっていよう。そのうえ切られたときのままの姿ですべてを生かしてあげたいと思ってしまう。それゆえ落ち着かない枝々の行方を思案する。

そうこうするうちにカラヴァッジョの「バッカス」(フィレンツェ ウフィツィ美術館蔵)を思い出した。

ザクロは種が多いことから、西洋でも東洋でも豊穣と子孫繁栄を象徴する植物。上半身もあらわにワインをかかげるトロリとした男の眼差しは何ともエロティックで記憶に残る。

バッカスはワインと豊穣を司る神であり、カラヴァッジョの作品ではブドウの枝葉を冠にした若い男が秋の果物とともに描かれている。しかしそのザクロやリンゴは腐りつつあり、「人生のむなしさの寓意」を表すヴァニタスにほかならない。

されどこれはこれ、実りの秋である。紅葉の頃には、見送りとなっていた妹の茶の湯の師を正客に、実家で茶事をすることになった。妹夫妻がどのような趣向で師を迎えるのか大いに楽しみである。

 

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