一夜明けて

izaatsuyoshi2008-10-18


碓井の川辺をつたい詩碑公園を抜けると「盆栽展」の看板を目にした(10/13)。この3連休の間、開催されていたようである。入り口付近の即売会では、盆栽好きが集い、楽しそうに談じ合っている。連れは「御用松」の盆栽に惹かれた様子であったが、大きすぎて持ち帰ることは出来ずようよう諦め、小振りの「長寿梅」を購入した。しかし御用松には大分未練が残ったようで、帰途の車内でもヤマト便で送ってもらう方法もあったなどと、しきりに話す。

信越本線、谷川MAXと乗り継ぎ、1時過ぎに東京駅に到着。早々と帰京したのは、三井記念美術館で「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」を見るためである。混み合う駅のコインロッカーにザックと盆栽を預け、日本橋方面へと向かう。歩きながら自然の中で過ごした時間はあっという間に遠くなるものだとしみじみと思う。日中にこの辺りを歩くのは何年ぶりだろう、青い空を背景に雄々しい橋の彫刻や、三越の外壁、三井ビルのコリント様式の柱に見とれてしまった。帝都東京も面白いものだ。

旧式デザインのエレベーターに乗り込み、三井記念美術館へ。思えば記念館が中野から日本橋に移って初めて訪れるのであった。茶会帰りの着物姿の女たちに交じり、我々は山行のいでたちだ。

森川如春庵(1887−1980)は一宮の素封家に生まれ、十代で本阿弥光悦の「時雨」「乙御前」を所有したという伝説の数寄者である。この二椀は圧巻であったが、ほかにも志野茶碗「卯花墻」、ととや茶碗「小倉山」、「佐竹本三十六歌仙」と名品を書き出せばきりがない。篠井秀次「真塗中次」(室町)からは目が離せなかった。如春庵の目の確かさを感じさせる展覧会であった。

しかしながら、数寄者が数寄者として生き得た時代は、今は昔と言わざるを得ない。近年、松永耳庵ら、数寄者の名前を冠するコレクション展が開催されているが、今を生きる数寄者らを顕彰する展覧会が、20年、30年後に開かれることがあるだろうか。

三井記念美術館 http://www.mitsui-museum.jp/index2.html