季の移り

izaatsuyoshi2009-05-15


桜も三分咲きの頃、母の体調が優れないとの一報に帰郷した。3ヶ月ぶりに見る母の身体は、ひと回りも小さくなったように感じたものだ。その折は大事にいたらず安心したが、新緑の萌える4月末、再び急を告げる電話がなった。今度は父が救急で運ばれ、入院したというのである。

父の不在中、実家にもどり1週間を過ごすことになった。その間、母の検査日に同行し、午後に病室の父を見舞い、夜は心配性の母と枕を並べた。日中、母は疲れをいとわず家中の整理に余念がなかった。どうやら、次代に要るものと、要でないものを分けているらしかった。

庭には初夏の花々が咲き競い、両親の日ごろの丹精がしのばれた。ある日のこと、茶友から、庭を見せて欲しいと連絡を受けた。母の身体を気遣ったが、本人は、例年のことであるし実は数日前からの約束なのだと、応じた。

午後1時すぎに姿をあらわした5人の茶友は、初夏の陽射しに笑いさざめき、スコップと花鋏を携えて庭を巡った。母はいつものように客の先を歩き、植物の育て方や、草木にまつわるエピソードを話して聞かせた。そして種から育てた松本せんのうや舞鶴草などを、人数分の鉢に植えかえたりした。

いつしか3時をまわり、それぞれの車のトランクには植物がいっぱいに詰め込まれた。彼らの顔は幾分上気し、満足の色が浮かんでいる。

頃合のようだ。「さて、それではお茶にしましょう」と一行を部屋へとさそった。コーヒーと妹が持参した洋菓子を前に、笑い声はあふれた。植物の話は途切れることなく続き、母も心から楽しんでいたようである。

茶友たちが帰宅の途についたのは5時を大分まわったころであった。長い訪問に母の身体を心配したが、顔にはほんのりと赤みがさし、朝よりも調子が良さそうであった。植物の世話が十分に出来る茶友たちへ、丹精した草花がもらわれていくことに安心したのであろう。

連休明けに父は退院し、昨日、母の検査も早急な治療を要することはなし、との結果が出た。ようやく胸を撫で下ろしたが、ふた月もおかず2度も救急医療に世話になったのだから、これまでのように庭の手入れをすることは難しいかもしれない。しかし、思いやりに満ちた人々との交友と、草花に囲まれた静かで穏やかな日々は、両親の身体に再び力を与えてくれることだろう。