梅が結ぶ縁

梅の収穫の頃となった。先週末、連れは生け垣を越えて成長した枝を剪定し、私は切り落とされたばかりの枝から梅の実をもいだ。昨年は不作であったが、今年は枝ごとに実は鈴なりである。

この日の梅はまだ青く、梅酒に最適であった。拙宅だけでは処理しきれず、今年は不作だという実家に4キロほど送り、またご近所のお二方に2キロずつお分けした。残りで梅酒を漬け込み、なんだかんだでこの日は10キロほどの収穫があったわけである。

次の月曜から毎日毎日、梅の実は落ち続けた。通りに落ちた梅がご近所の迷惑にならぬかと気を揉み、早朝に、夕べに梅を拾った。落ちた梅の多くは傷を負っていた。道に落ちたとたんに潰れてしまうものもあった。

それでも日に1キロ以上の収穫があり、傷んだ部分を切り落としてジャムを作ったり、無傷のもので梅干しやシロップを漬け込んだりした。

そして、昨日の午後、思いがけない来客があった。ドアを開けると、先週末、梅をお分けした高齢のご婦人が、大きな蜂蜜の瓶を抱えて立っていらっしゃった。

「梅をいただいたから、これを・・・あれからもお庭の梅を拾わせてもらったわ!」 そう、こちらが不在でも中に入って拾ってくださるよう、話していたのだ。ご婦人は今年で90歳になると言う。エリザベス女王と同い年、面長で大きな目が似ていらっしゃる。

またある朝のこと、庭の掃除をしていると「道に落ちた梅をいただいてもいいかしら?」と声をかけてくるご婦人があった。こちらで拾ったものも一緒にお渡しすると「ここは毎日、犬の散歩で通っているの・・・おかげ様で梅酒ができるわ!」とえくぼを浮かべて言った。

帰宅すると家の前の通りが綺麗に掃かれていたこともあった。先日、梅を所望された隣家の男性が、梅を拾いながら清掃をしてくれたのかもしれなかった。

梅の実は先週よりだいぶ大きくなり、熟しきって甘い香りがする。この地に越して2年余り、梅の古木が結んでくれた縁をありがたく思うこの頃である。