夏目漱石『三四郎』

読書の時間

4月半ばに、そしてそのひと月後に再度の引越しをした。何と慌ただしい春であったろう。

引越しを前に、予て処分を考えていた100冊余りの書籍を手放した。それでも1度目の引っ越しの際、大型の美術本や図録を詰めた大量のダンボール箱に辟易する作業員の様子に、さらに300冊ほどを古書店に引き取ってもらった。

書籍の取捨選択には苦労したものの、分類も完了し、今は満足している。

しかし2度目の引越しを済ませると流石に疲れ、仕事関係以外の書籍を手に取る気力もなかった。そうこうしているうちに入梅となり、ある画家の年譜に目を通していると、夏目漱石との交流を見いだした。

漱石と美術の関係については、新関公子著『「漱石の美術愛」推理ノート』(平凡社)に詳しいが、就寝前の手遊びに、青春時代に読んだ『三四郎』を手に取ってみた。

心に残る一節があった。三四郎の敬愛する教師、広田の言葉である。一人の女へ寄せる思いは、甘く切ない青春の日々への諦念にも通じよう。胸を揺さぶられるようであった。(以下抜粋)

「面白い夢を見た。それは、僕が生涯に一遍逢った女に、突然夢の中で再会したという小説染みた御話だが」

(中略)

「僕が何でも大きな森の中を歩いている。あの色の褪めた夏の洋服を着てね、あの古い帽子を被って。ーーそうその時は何でも、六ずかしい事を考えていた。凡て宇宙の法則は変らないが、法則に支配される凡て宇宙のものは必ず変る。するとその法則は物の外に存在しなくてはならない。ーー覚めて見ると詰らないが夢の中だから真面目にそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に逢った。行き逢ったのではない。向は凝っと立っていた。見ると、昔の通りの顔をしている。昔の通りの服装をしている。髪も昔の髪である。黒子も無論あった。つまり二十年前見た時と少しも変わらない十二、三の女である。僕がその女に、あなたは少しも変わらないというと、その女は僕に大変年を御取りなすったという。次に僕が、あなたはどうして、そう変わらずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日が一番好きだから、こうしているという。それは何時の事かと聞くと、二十年前、あなたに御目にかかった時だという。それなら何故僕はこう年を取ったんだろうと、自分で不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しい方へ方へと御移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時僕が女に、あなたは画だというと、女が僕に、あなたは詩だといった」