睦月の道楽(2011)

izaatsuyoshi2011-01-16


1月1日早朝の恒例、実家2階の東側の窓から初日の出を拝む。今年一年、皆が無事で過ごせますように。

晦日の夜までかけて仕上げた御節料理に御屠蘇と雑煮。元旦の朝、家族で正月の膳を囲むと何故か晴れ晴れとした心地になる。書院床には恵比寿の軸、鏡餅南天を飾った。大掃除はともかく、正月のしつらえは年末の楽しみのひとつだ。

夕刻、妹の家族5人が賑々しく新年の挨拶に来る。子どもたちの目的はお年玉だ。勝手気ままの彼らもこのときだけは神妙に礼を言う。頭の中ではこれで新しいゲームソフトをゲットできるとほくそえんでいるに違いないが。

御節を盛付けた朱漆の膳を持ち出すと新年の宴の始まりだ。しかし美しい盛り付けを前にして、子どもたちは口をとがらせて「御節?僕は苦手だな!」と言う。例年のごとく。だが子ども時代、私もあまり箸をつけなかったように思う。御節を美味しいと感じられれば大人の証だろうか。御節と御屠蘇の組み合わせはいいものだもの!

4日早朝に帰京し、急ぎ昼食の買い物をすませる。
年末に手に入れた古染付の皿に御節を盛付ける。御節もこれが食べおさめだ。松竹梅の意匠で飾られた5枚の皿は、それぞれに図柄が異なり楽しいものだ。

献立は御節を前菜に、年末に頂戴した赤のスパークリングワインを開けるべく、牡蠣のオリーブオイルと酢橘のサラダ仕立て、ロース肉のガーリックソース、ブロッコリー添えと洋風なものにした。日本人ソムリエがプロデュースしたというこのワインは非常に美味しかった。

午後、穏やかな日差しのなか、散歩がてらに馬橋稲荷に詣でる。住宅街の静かな神社だ。4日ともなると詣客もまばらであった。

5日午後、うさぎやの銅鑼焼きを手土産に京橋の古美術商を訪ねる。3畳ほどの小上がりの間には、赤漆のタカツキに米、昆布、橙、羊歯が飾られていた。餅がかびるのを嫌い自己流に供えたというが、なかなか良かった。抹茶を馳走になりながらいくつかの品を見せてもらう。結局店の入り口にあった南京の扇面香合をもらうことにした。

夕刻、日本橋「八ツ花」ののれんをくぐる。この店にもうさぎやの銅鑼焼きを持参し、主人、仲居らと新年の挨拶を交わした。「お客さんがいらっしゃるのは明日(6日)からでしょうねえ」と仲居。じつのところ、この夜の客足は今ひとつで、カウンターに50がらみの男が一人いるばかりであった。どうやら一見の客であるらしい。

年明けに、仕立ての良いスーツに身を包み一人で訪れた男をよほどの食通と見たのか、店内はいつになく静かである。しかし我々が男の3つ隣の椅子に座り、主人と新年の盃を交わすと、それまで黙っていた男の口からも「美味しいですね!」という言葉がこぼれた。続いて日本酒一合の所望があり、仲居らもいつものように軽口をたたきはじめた。美味いものを前にすれば自然に頬が緩む、誰しも同じだ。

8日午後、正月の案内をもらっていた銀座の茶道具商を訪ねる。床、点前座は初春の装い、点心を馳走になり一献いただく。また暖かい薄茶で幸せな心地となった。夕刻、二組の客で賑わう銀座・炉辺にて夕食、カラッと揚がったおこぜが絶品であった。

9日、鎌倉をぶらぶらと歩く。初詣の客で鎌倉の町は大変な人出だ。午後1時過ぎ馴染みの蕎麦屋に向かうと10人ほどの行列。15分ほど店の外で待ち、ようやく席に案内された。連れは胡麻豆腐や鴨焼きなど5、6品のツマミを注文、持参の盃を傾け2時間ほども居座る。我々は良い客であったか、はたまた迷惑な客であったか。

続いて連れの知り合いの古美術商を訪ねる。奥の間に囲炉裏があり釜がかかっていた。床は北大路魯山人。鎌倉の古美術商は大なり小なり魯山人とは縁があり、この店の先代も星岡窯に出入りしていたそうである。薄茶を一服頂戴して店を出た。

15日、年末年始の疲れが出たのか少々風邪気味である。昼前、箱根湯本に向い、温泉で疲れを癒した。

ちなみに以下は昨年の「睦月の道楽」。読み返すと同じような日々を過ごしており、どうにも可笑しい。
http://d.hatena.ne.jp/izaatsuyoshi/20100129