立原にて春を食す。
連れは予約の時間より20分ほど早く到着し、店の主人立原氏と昔話に花を咲かせていたようだ。
今夜の客は我々だけあり、立原氏との話もはずんだ。恵比寿の店を閉めてから早や10年になるという。当時、この店の閉店を知らなかった我々は、予約しようにも電話が通じず大いに嘆いたものだ。
恵比寿の店で、立原氏の書を譲り受けたことがあった。「花」と一文字書かれていたが、その文字は飄々として、風に吹かれて咲く野の花を思わせた。近年、茶杓を削っておられるとのこと。手に取った茶杓は、なかなかの出来である。
父上が讃えた料理人の仕事振りや過日の茶事についてなど、和やかに会話は続いた。いつものようにビール、日本酒と飲みつぎながら、料理に舌鼓をうつ。八寸の一品、茹でたのびるは辛味が抜けている。これなら春の茶懐石に使ってもいい。
静かに、穏やかに時は過ぎた。食事を終え、持ち込んだ古唐津、黄瀬戸の石盃を仕舞うと、突然雷鳴がとどろいた。春もいよいよ本番である。勘定を済ませ、窓から通りを覗けば、雨脚が大分強い。立原氏の気遣いを背に店をあとにした。
献立