八ヶ岳 煌々たる満月

7月19日、八ヶ岳に向かう。新宿7時発のスーパーあずさに乗ろうと家を出たが、さすがに3連休の初日、発車20分前のホームには、すでに長い列が出来ていた。そこで続く18分発のあずさに乗車、10時前に茅野に到着した。茅野からバスに1時間ほど揺られ、麦草峠に着く。ここで持参の昼食をとり、正午より登山開始。

黙々と薄暗い樹林帯をゆく。連綿たる岩々、その肌にしっとりとむす碧の苔。

無限に拡がるこの景観は、自然の無作為な配置の積み重ねである。しかし、岩の一点一点が泰然寂として大地に刻まれ、神の実在をも感じさせる。

自然の姿こそ最上の美か…必然、西芳寺の庭を思い浮かべる。あの庭の作り手の意図、行き着くところは自然であろう。

途中、単独行の男性に出逢い「今日はどこまで行くのか」と聞かれる。彼は黒百合ヒュッテに泊まるのだと言う。中山峠で道は別れ、我々は天狗、根石を越え、料理が美味いと聞くオーレン小屋を目指した。それでも、この日の行程は約5時間弱と短いものであった。

オーレンでの夕食には驚かされた。桜肉のすき焼き、山菜の天ぷら等が食卓に並んだ。客はグループごと、2名1組で鍋を囲み、自ら肉、野菜を投じてすき焼きを食す。ビール、日本酒とアルコールもすすんだ。山小屋で新鮮な肉、生野菜が供されたのは初めての体験であった。我々にはすき焼きの味が濃すぎたが、小屋オーナー、スタッフの努力には感服である。

この小屋はヒノキ風呂があることでも知られている。雨水を風呂に使用する山頂近くの小屋とは異なり、小屋前を流れる沢の水が使われているのだろう。そういえば全国的に梅雨明けとのこと。このところの下界での塵ともども山行の汗をきれいに流したものだ。午後9時、消灯となる。

7月20日早朝4時半、屋外に出る。山上に満月煌々。


手前左に硫黄岳、右より左へ阿弥陀、中岳、そして八ヶ岳連峰の主峰、赤岳を望む。

6時半、小屋を出て硫黄を目指すが、この日は2つのトラブルに遭遇することになった。まずは、歩き出して10分も経たぬうち、あろうことか、左の靴の底がはがれてしまった。夏沢の小屋で、靴に針金を三重に巻き底を固定してもらう。これから硫黄を越え、美濃戸に向かうつもりだと伝えると「わかるよ、がんばんな」と声をかけられた。有り難かった、心から感謝を告げる。この応急処置は功を奏し、この日の行程をかなり早く終えることが出来た。

しかし硫黄頂上目前、今度は長年愛用の帽子を、折からの強風に飛ばされてしまった。帽子は風と一緒に谷へと転がっていった。あの帽子は、晩秋には雪をかぶり、落ち葉とともに朽ちていくのだろうか。帽子の行方を思いながら樹林帯を歩く。

いつの間にか、連れはずいぶんと先を往き、姿が見えなくなってしまった。すると、沢の音にまぎれ、誰もいないはずの背後から奇妙な足音が聞こえてくる。気が付けば、何のことはない、はがれた左足の靴底が、私の歩行とは少々の時間差をもって、パタリパタリと地面をたたいているのであった。

靴も帽子も登山を始めた頃に購入したものだ。10年も一緒に山を歩いたのである。次回は新しい靴と帽子で山に向かうことになるのだと思うと、さびしさは否めない。しかしそのお陰で、山小屋のあるじの的確なはからいや無骨な優しさ、励ましに接することが出来た。連れは、強い陽射しにもかかわらず、自分の帽子を貸し与えてくれた。あるものを失い、あるものを得たというわけである。

下山途中の赤岳鉱泉で小休止をとり、生ビールを飲む。正午前、美濃戸口に到着。麓の公共温泉に浸かり、湯上りにまたビール。駅前の蕎麦屋に立ち寄り、ここでもビールを飲む。3時すぎのスーパーあずさで帰京する。