古袱紗の記憶

izaatsuyoshi2008-11-19


小さな裂地を愛でるのも、なかなか楽しいものである。織や柄、手触りなど、それぞれに良さがある。

先日、某大学の茶道部から、お運びに使う古袱紗を複数枚借用したいとの申し入れを受けた。地味好みの当方の手元にあるものでは、女子学生にはつまらないだろうと、道具屋に足を運び、綺麗なものを幾枚か購入した。

古袱紗も集めだすときりがない。茶事の道具組みを考えながら、茶入や茶杓、茶碗に映りの良いものをと、主役を引き立てる古袱紗を選択するのも楽しい時間である。

夏の朝、母は次々と開く朝顔を眺めながら、これは幼子、あれは艶ある女人のようだ、と花の色に様々な人物像を見いだすが、裂地も同様、今回求めた宝尽は、15の少女の華やかさがある。そして茶の深みも美しい江戸末期の更紗地は、小粋な江戸女の香りを放っているようだ。

ふと、無沙汰を重ねる茶の湯の恩師を思い出した。柔らかい裂地にふれると、一気に師への懐かしさがこみ上げてきた。師は浅草の医家に生まれ、幼年から茶の道を志した。この更紗の古袱紗に、師の江戸好みの着物姿が重なった。