帰ってきた江戸絵画 ギッター・コレクション展 静岡県立美術館

izaatsuyoshi2011-02-12


2月11日雪のちらつく朝、静岡に所要があるという連れに同行し、東京駅から新幹線に乗り込んだ。積雪の恐れ、との天気予報であったが、「静岡はめったに雪は降らないさ!」と言うMの言葉どおり、熱海を通過する頃には雪は雨にかわっていた。

連れとは午後3時に静岡駅で待ち合わせる約束をして、ロダンのコレクションで名高い静岡県立美術館に向かうことにした。美術館へは、駅からバスで約30分の道のりである。(片道350円、1時間に1本運行)

折りしも「帰ってきた江戸絵画 ニューオリンズ ギッター・コレクション展」が開催中であった。

アメリカの眼科医、ギッター氏は、1963年から2年間の日本滞在中に日本美術の蒐集に目覚め、その後も訪日の度ごとに購入を続けた。今回の展覧会にも丸山応挙、伊藤若冲、曽我蕭白俵屋宗達長澤芦雪などビッグネームが並ぶ。その一方、無名の画人の作品も含まれ、アメリカ人の無垢な目が選んだコレクションならではの面白さがある。水墨画特有の迫力、洒脱さ、加えて墨の濃淡やたらしこみなどの表現方法にも魅かれたようだ。それを抽象絵画にもたとえている。

また、この展覧会が興味深いのは、収集家その人の経歴にある。権威ある眼科医であるギッター氏の経済的環境、美術商との信頼関係。そして彼の妻がニューオリンズ美術館の副館長であること。

美術品蒐集管理の専門家であり研究家である妻は、アマチュアの夫の眼力を信じた。夫妻により蒐集は続けられ、1997年ギッター・イエレン財団(※イエレン=妻のファミリーネーム)を創設するに至る。

財団の開設は妻の助力なしには有り得なかっただろうし、またギッターの挨拶文に日本の美術商への感謝の言葉があるように、いかにも彼らの協力がなくてはこのコレクションは成しえなかったに相違ない。

萬葉庵コレクション http://www.manyoancollection.org/


続いて、1994年に開設されたロダンを観る。高い天井からは外光が入り、ロダンの彫刻群が広い空間にゆったりと置かれている。《カレーの市民》《地獄の門》《考える人》など著名な作品を含む30点余り。しかし、大理石彫刻は小品1点のみにとどまった。パリのロダン美術館を知る人は、どうしても物足りなさを感じてしまうだろう。これがロダン館の泣きどころではないだろうか。

肖像彫刻のブースでは、丹精で神経質症の《ボードレールの頭部》と奇怪な《花子のマスク》が並んでいたのが印象深い。往時日仏の関係性、越し方の具現化のようにも感じた。

キャプションは作品と少々離れた壁に掲示してあった。純粋に作品そのものと対峙してもらいたいという館の方針なのだろうが、キャプションを探すという作業のために、鑑賞の外へと一旦、想いがさえぎられる。ロダン館へのブリッジに展示されているクローデルやリップシッツ、ジャコメッティらの小品彫刻も、台の裏側にキャプションが貼られており、同じ理由で鑑賞に集中できなかった。

「イマジネーションの彼方へー神話・空想・物語の西洋画」という収蔵品による小企画も催されていた。デューラーの銅版画、クロード・ロランの油彩画などがテーマに準じて紹介されていた。

また1階ホールでは小部屋が設けられ、草間弥生の「水上の蛍」が公開中であった。係りが1組づつ、1分間の鑑賞をうながす。ふた組を待って部屋の中へ案内されると、ドアが閉じられた。足元に水がはられ、四方の壁、天井に鏡がめぐらされている。はかなげに吊るされた赤、青、黄、緑のLEDの蛍が、四方八方に映り込んで、永遠に増殖を続ける。ここでも草間のテーマは「増殖」だ。次第に体が浮遊するような錯覚に陥り、眩暈を感じた。1分後、係りによってドアが開けられた。

静岡県立美術館のコレクションはロダンあり、クロード・ロランあり、水墨画あり、草間ありとバリエーションに富んでいる。しかし、今回はギッターのコレクションより質の高い、久隅守景、海北友松、狩野探幽、丸山応挙らの館蔵品が観られなかったのは残念であった。絵葉書数葉を購入し、美術館をあとにした。

静岡県立美術館 http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2010/07.php