大河内山荘

izaatsuyoshi2011-04-15


「あの庭はいい、大したもんだよ、大河内傳次郎って俳優は!」と、連れはしみじみと語ったものだ。以来、私の頭の中では小倉山の斜面にあるというその山荘のイメージがふくらみ続けた。

ある日のこと、「京都に行くぞ!」と連れが言った。そうして向かったのだ、とうとう、その大河内山荘に。

タクシーは天竜寺脇を左折し、嵯峨野の竹林に入る。観光客がさざめき歩く細い道をタクシーはゆるゆると進んだ。突き当たりが目指す大河内山荘の門である。

「ここだよ、やっと観られるね!」と幾度か訪れた連れが案内するように前を歩く。だらだらとした傾斜の道を登ると右手に2メートルほどの燈篭があり、その先に東屋風の茶屋らしきものが見えてくる。

連れが振り向いて言った。「急ぐ旅でもなし、菓子は美味いし先に一服いただこうか?」 そこで野点席に座り、青い青い空の下、抹茶を飲みながらしばし庭を眺めた。鶯餡の入った最中をいただいての薄茶は春の香りがして、京都に来たのだ、とつくづく思った。

さて、この山荘は周囲の山々を借景にした回遊式の庭園である。そこここに配された石組みや延段を観ていると石そのものの選択に始まり、植栽や家屋の配置に至るまで、終始強いこだわりを持って作庭したことがうかがえる。


大乗閣と名づけられている主家からは遠く京都の町並みが望め、その向うには小高い山々が連なる。山肌の大文字焼を鑑賞するに一等の場所であろう。また、ある場所では膝上ほどに仕立てられた松が道の左右に植栽され、ハイ松を縫って歩く登山道を思わせた。

茶室滴水庵を過ぎると嵐峡の展望台があり、眼下には保津川のうねうねとした流れが光っていた。向いの山々には点々と桜が咲き匂う。日当たりの良い山の斜面では桜はすでに花をほころばせているようであった。

大河内傳次郎無声映画時代に活躍した俳優で、当たり役は丹下左膳。しかし彼がこれほどまでの数寄者であったことは知らなかった。34歳から作庭を始め、以来64歳で没するまで、丹精を込めたという。

庭の造営を続けながらの30年間は俳優人生を忙しく送る大河内にはさぞや楽しい時間であったろう。大河内の大いなる数寄者ぶり、借景庭園の清々しさに、しみじみとした共感がわいた。