小千谷縮と吉兆と

8月10日、ゴルフと温泉を楽しみに、新宿7時30分発の特急あずさに乗り込む。連れの目的はもちろんゴルフであるが、私はと言えば和服を着て夕食に出かけること! 楽しみは何であれ、車中の人となれば3時間半のちには信濃大町に到着である。

読者諸氏にはよくよくご存知、連れとの旅行は事ほど左様に珍道中、今回は何が起こることやら! まずは今晩酌み交わす酒を求めて、駅前通りの酒屋に入ったものだが…さて。

「すみません、この地域で美味しい酒は何? そう、甘くなく、かと言って極端に辛くないやつかな、ッハハ」っと連れが切り出す。
すると「う〜ん」といい乍らノッソリと立ち上がった1人の男、面倒臭そうにガラスケースを開け「この紙包みに入った白馬錦はイイですよ、純米吟醸でサ、評判だよ」と応えた。だが虫の居所が悪いのかこの上なく無愛想。早くも私の背中をスーッと冷たいものが走る。

しかし連れは全く気にならない様子で「今夜はくろよんの吉兆で食事なんだけど、あそこの白馬なんとかって酒、あれと重ならないといいんだが…」とたたみかける。彼「くろよん? そこで何が出てるか知りませんが、兎に角、これはないモンですヨ」と返してきた。

連れが更に喋ろうするのを急いで遮り「アッ、いいですネ、これを貰いましょう、ハイハイ」と収めたものだが、彼は酒を袋に入れながら、低く押し殺した声でこう言い放った。

「美味しい酒とか辛口とかサ、うちは美味しいモンしか置いていね−ンだよ、たくサア〜、そんなこと云われっとヨ、ッタマくんだヨー」

「ン?切れた…か」と我々一瞬顔を見合わせたが、連れは何を思ったのか「いっやア〜、ところで肴、美味い乾きものとかありますかネエ?」と重ねて尋ねる暴挙に出た。すると彼「ここにはあんまりないけどサ、そこにありますから見てよ、ッたくヨ」と、もはや投げやりの体。

お代を済ませて早々に引き上げようとすると、連れがまたしても声をかけた。「近くに美味い店はある? そう、美味しい蕎麦屋でも…」相手は呆気にとられた様子で一呼吸。今度は冷静を装いつつ「どこも美味いよ。蕎麦屋?それならその角を曲がってさ…」

勝負は空気の読めない連れの勝ちといったところか…店を出てからというもの、連れは「アハハ、ウヒヒッ」と笑いが止まらない!

しかし、この酒「白馬錦 雪中埋蔵」、帰宅後あらためて飲んでみたが味わい深い酒である。そうそう、その美味しいってやつ! 今更ながら酒屋のお兄さんに頭を下げたものだ。

そうこうするうち、件の酒屋の通り沿いに続々と客が入っていくトンカツ屋に出くわした。のれんをくぐると正面に北アルプスの写真パネルが目に飛び込んでくる。空をバックにソースカツ丼の文字が踊り、どうやらこれが看板メニューらしい。連れはビールを所望したが、アルコールは出さないのだという。客は合宿中と思しき男子学生が大半。ほどなく運ばれてきたのは味噌汁、サラダ、そして大盛りのどんぶりであった。山男、体育会系男子でひしめく人気の店であるのも頷ける。

さて連れのお楽しみのゴルフは14時スタート。曇天にて暑さもほどほど、あがれば温泉とビールが待っている。日常から解き放たれ、夏休みを満喫といこう。

夕食時間となれば、大事に抱えてきた小千谷縮を着込んで、ホテル内の吉兆に向かう。

献立

  • 向付 小芋寄せ
  • お椀 枝豆真丈 しめじ
  • お造り 平政 鯛
  • 八寸 もずく酢 鮎寿し 枝豆 厚焼玉子 スモークサーモン とうもろこし揚げ 八幡巻
  • 炊合せ 高野豆腐 蛸 ずいき 冬瓜
  • 御飯 長芋御飯 焼穴子
  • 果物 

胡麻ダレの小芋寄せは冷たく、青柚子の香りが爽やかであった。真夏の茶懐石に最適、胡麻ダレをかけず小さく切れば八寸でもいける。涼し気な一品であった。