植物

弥生

我が家の梅は東京では遅咲きで、例年2月下旬に開花を迎える。今年は幾分遅れ、3月5日にようやく花がほころび出した。 さて、北関東にある実家の二階北側の窓からは、樹齢100年を超える梅の大木の枝先が見える。花喰鳥たちが花を啄むのも身近に、この時期、…

芳香

百合の芳香は甘くねっとりとして、花を抱いて帰る車中では、人様を不快にせぬかと不安になった。帰宅して着替えもせぬままに水切りをし花をいけた。玄関に飾った花々の芳香はいよよ満ちて、眠れずに朝を迎える部屋の中まで忍び寄ってくる。

庭を見る

連れの所要に便乗し、猛暑のなか京都に出かける。「白沙村荘 橋本関雪記念館」を初めて訪れる。ここは京都画壇の一時代を築いた画家、橋本関雪の理想郷である。関雪は終生、作庭を楽しみ、また古美術を愛し収集した。東山大文字を借景にした庭園には、平安か…

日本橋の桜 

春月や ビルの合間に 花の合間に (敦煌)2013.3.29 夜桜 - 寿福千年録

遅咲きの梅

昨秋、伸び放題であった庭先の梅の徒長枝を大々的に剪定した。 花数は少ないが今年も初々しい花を咲かせてくれた。 本格的な春の訪れとともにこの梅は開花、道行く人はしばし足を止めて憩う。

ヘデラベリー

子供時代に買ってもらった『おやゆび姫』は大好きな絵本だった。 何より絵が好きだった。カエルも鳥も草花も、とてもリアルに描かれていた。チューリップの花びらの舟にはおやゆび姫が乗っていたはずなのに、不思議なことに彼女の姿は思い出せない。だけど青…

栗名月

今日は十三夜、ススキと秋明菊と柿を縁側に飾りました。 今、栗を煮ています。 本来なら栗名月には栗おこわを作るべきでしたが・・・ そのせいか、今夜はお月さまは顔を見せてくれません。

梅が結ぶ縁

梅の収穫の頃となった。先週末、連れは生け垣を越えて成長した枝を剪定し、私は切り落とされたばかりの枝から梅の実をもいだ。昨年は不作であったが、今年は枝ごとに実は鈴なりである。この日の梅はまだ青く、梅酒に最適であった。拙宅だけでは処理しきれず…

観梅

槍梅や曇天突きてこぼるるうらら(敦煌)

槍梅

拙宅の遅咲きの梅が見頃を迎えた。半月ほど前の嵐で、まだまだ硬く小さかった蕾が沢山落ちてしまい、今年の花はいかばかりかと思っていたが、日毎、花喰い鳥たちが訪れるにぎやかさ。変わらず目を楽しませている。昨夜から降り続く雨に花弁が舞った。春本番…

二月の花

実家から帰宅の折、母が花を包んでくれた。いく輪かの椿と土佐水木。いつものようにひと枝もひと葉も落とすことなく、その命を惜しみ、野にあるように活ける。 拙宅では遅咲きの梅の開花までもう少し。

続・一客一亭の茶事

蔵の中で眠り続けていた古信楽の種壷を花入れとし、連れを正客に迎えて一客一亭の茶事を開く。しかしこの壷のおおらかさを前に、花がなかなか定まらない。落としを代えてみたり、開いた椿をいくつか入れてみたりして、ようやく自然な形に落ち着いた。席入り…

七夕飾り

小糠雨が降り続くなか、7月になった。庭の笹竹を切り、七夕飾りを作る。昨夜求めた和菓子屋の包装紙を短冊に切り、「織り姫」「彦星」「天の川」と定番の文字を書く。花入はおしゃべり口の茶碗ならぬ籠。 連れの短冊には「ごるふ 煩悩切り」の文字が踊る。こ…

花を分ける

4月にはいると、実家の庭では樹木の移植が本格的に始まる。冬の間、父は庭を眺め剪定をしながら、あれはそちらに、これはあそこにと終わりのない構想を練っているらしい。今年一番の大仕事は東南の袖垣を撤去し、大きな皐月二株を移植することであった。な…

花喰い鳥

庭先の梅が満開となった。蜜を目当てに野鳥たちがせわしく訪れる。大きく枝を揺らすのはヒヨドリ、枝枝を飛び踊るのは目白の番いである。カメラを向ければ飛び去ってしまう野鳥たち。目白踊り梅花密かに匂いたつ(敦煌)

ドクダミの花

曇天の早朝、窓を開けると庭の一隅がぽうっと明るい。ドクダミの花が満開である。昨夜の雨に打たれ、葉はツヤツヤと輝き、清楚な白い花が一斉にほころんでいる。 この花はこんなにも美しかったろうか。子供の頃は、ドクダミという名称も何やら恐ろしく、美し…

夜桜

夕刻、日本橋丸善前で連れと待ち合わせ、東京駅へと続く桜並木を歩いた。喧騒をよそに、静かに静かに、舞い降りてくる花びら。 《無常》が《永遠》へと繋がる宵。

花見の宴(井の頭恩賜公園)

敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花戦前に国威高揚の一端を担わされ広く知られるようになった本居宣長の歌。私にとっては小林秀雄の講演テープ(新潮カセット文庫)で耳に馴染んだ歌だ。壇上の小林は、声高らかに読み上げたものである。問題山積の…

花を届ける

大山蓮華が芳しい花を咲かせた。幾種かの花を添え、茶の湯の師に届けることにした。久しぶりに会った高齢の師の身体は、また一回り小さくなったように感じられた。師のもとを離れ、いつしか5年の歳月が経つ。今、師と私とをつなぐのは四季折々の花であった…

花見の宴(北の丸公園)

3月も末になると「今年の花見はどこに行こうか?」と言い出す連れ。と言っても桜追いの旅に出るわけではない。以前は千鳥ヶ淵や上野に出かけたものだが、人の多さに楽しさも半減して、この頃は近くの稲荷神社であったり、四谷や吉祥寺であったりする。要する…

法師温泉から谷川岳へ

窓下を流れる法師川のせせらぎに目を覚ました。昨夜の雨で川の水量が増えたのかもしれない。水音が気になり、なかなか寝付けなかったという母を残して、父は私たちが起きるより前に《法師乃湯》に向かったらしい。わずかな清掃の時間をのぞいていつでも湯に…

3つの滝をめぐる

実家の両親、嫁いだ妹、姪の5人で旅に出ることになった。宿泊先は母が常々泊まってみたいと話していた法師温泉の一軒宿、長寿館である。1日目は、日光の竜頭の滝、湯滝を回り、そこから水上に向かう道中、沼田市の吹割の滝を経由し、法師温泉に向かう行程で…

落ち葉の行方

小春日和の一日を、庭仕事に「うつつをぬかす」ことにした。金曜の大風は、枝々の紅葉をほとんどさらってしまい、地面を色とりどりに染めている。落ち葉を掃き集め、リヤカーでとある場所へと運び入れる。あとは豊かな腐葉土に、時が仕上げてくれるのを待つ…

季の移り

桜も三分咲きの頃、母の体調が優れないとの一報に帰郷した。3ヶ月ぶりに見る母の身体は、ひと回りも小さくなったように感じたものだ。その折は大事にいたらず安心したが、新緑の萌える4月末、再び急を告げる電話がなった。今度は父が救急で運ばれ、入院した…

花見弁当

桜も七、八分咲きとなり、花見に出かけることにした。鼻歌まじりで弁当を作る。重箱に筑前煮、出汁巻卵、焼き目をつけた薩摩揚などを詰め、椀型の点心弁当には筍御飯と和え物、香の物を盛りつけた。行楽弁当は作っているだけで不思議とワクワクする。徳利は…